欧米のヘルスケア・エクスペリエンスの取り組み

ヘルスケア・エクスペリエンスの背景にあるのは「患者さん中心医療」です。「患者さん中心医療」は、患者さんの人権尊重や患者さん重視の考え方が示された1947 年のニュルンベルク網領「被験者の承諾と選択」や、1948年の国連総会の「世界人権宣言」、世界医師会の「ジュネーブ宣言」などを契機に、欧米を中心に発展していきます。その取り組みは、1990年代から、米国では「エビデンスに基づく医療」の流れを汲んだ「エビデンスに基づくデザイン」の取り組みへと、北欧やイギリスでは「患者さん参加型デザイン」の取り組みへと展開していくことになります。
1993年、米国では病院の施設や設備のデザインによる医療の質、効率、安全、患者さん満足の向上を目的にThe Center for Health Designが設立されます。The Center for Health Designは「エビデンスに基づく医療」に沿って「根拠に基づくデザイン」を提唱。The Center for Health Designが推進する「根拠に基づくデザイン」は、建築家やデザイナーを中心に、病院における癒し(ストレス低減)のデザインの領域で発展していきます。

2002年、メイヨークリニックがSPARC Innovation Programを立ち上げ、世界で最も早く病院に「デザイン思考」を導入します。SPARC Innovation Programでは、デザイナー、医師、検査技師、看護師、事務員、患者さんなどすべての関与者が集まってアイデアを考え、プロトタイプを作り、現場で実験するためのデザインラボを院内に開設。See-Plan-Act-Refine-Communicateという「デザイン思考」のフレームワークを使って、潜在的な問題/機会を捉え、解決する多数のプロジェクトを推進していきます。初期のプロジェクトとして、診察室のデザインが100年前とほとんど変わっていない事実から潜在的な問題を洗い出し、診察室の機能やレイアウト、内装デザインを再デザインした事例があります。SPARC Innovation Programは2008年にMayo Clinic Center for Innovationへと発展し、2018年にはサービスデザイナー、プロジェクトマネージャー、ITスペシャリスト、医療従事者からなる50名以上のフルタイムのスタッフが、64000人の従業員と年間50万人の患者さんのために、ヘルスケアソリューションの開発に取り組んでいます。

一方、北欧では1970年代から取り入れられてきた参加型デザインの文化を背景に、患者さんをパートナーと位置づけ、患者さんが対等な立場で意思決定に参加する「患者さん参加型デザイン」の取り組みが発展していきます。21世紀に入って北欧でも「デザイン思考」が取り入れられるようになりますが、同時に、デザインの初期段階から患者さんや様々な関与者が参加し、協働でサービスをデザインしていくコ・クリエーションの手法が多く用いられます。

この手法は、オハイオ州立大学デザイン学部のエリザベス・サンダーズ准教授が体系化したものです。デンマークでは、デジタル変革が国家戦略として推進されており、医療もその対象になっています。デンマークの医療のデジタル変革では、いま「デザイン思考」やコ・クリエーションが欠かせないものになっています。
イギリスやデンマークの取り組みから学び、「デザイン思考」を国家戦略として位置づけ、病院改革に導入しているのがシンガポールです。シンガポールでは、2010年にDesign Thinking & Innovation Academyを創設し、「デザイン思考」の教育プログラムを提供しています。すでに、シンガポールのすべての病院が「デザイン思考」の研修を受けており、病院には必ずデザイン部門があり、患者さんの経験のデザインや改善を行っているといいます。

「患者さん中心医療」の根本である患者さんの権限や自律に対する意識の高まり、医療を取り巻く社会の複雑化、医療技術やデジタル技術の高度化を背景に、海外におけるヘルスケア・エクスペリエンスの取り組みは、それぞれのエキスパートによる局所的な問題解決から、「デザイン思考」やコ・クリエーションを使った全体最適による問題解決に向かっているといえます。

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