“ちょうどいい”アバターの力で、社会全体の幸福に寄与する──玉川大学脳科学研究所・松元健二、稲邑哲也(後編)

“ちょうどいい”アバターの力で、社会全体の幸福に寄与する──玉川大学脳科学研究所・松元健二、稲邑哲也(後編)

画像:玉川大学脳科学研究所・松元健二教授・稲邑哲也教授

これまで本サイトでは「アバター」について何度かにわたって紹介してきました。例えば、前回の東京大学大学院情報理工学系研究科准教授・鳴海拓志さんのインタビューでは、アバターを使うことで自己の能力や性格に影響を与える技術について語っていただきました。

こうした技術や議論を踏まえて、続く本記事では、「福祉」と「主体性」という観点から、人間の幸せを生み出す要因を特定し、VRによって個人の幸せを計測したり、比較したりする研究を紹介します。

後編記事では、社会全体のマクロな幸せを向上させるために、研究成果を政策の意思決定まで視野に入れて活用しようとする構想について、玉川大学脳科学研究所の松元先生・哲也先生にお聞きしました。

松元健二
玉川大学脳科学研究所教授。1996年京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了。博士(理学)。理化学研究所基礎科学特別研究員、理化学研究所脳科学総合研究センター・スタッフ研究員、カリフォルニア工科大学神経科学訪問研究員などを経て、2011年より玉川大学脳科学研究所・教授。専門は認知神経科学。目標指向行動や内発的動機づけ、社会性の神経基盤に関する原著論文多数。『図解でわかる 14歳から知る人類の脳科学、その現在と未来』(太田出版)を監修、『ビジュアル版 脳と心と身体の図鑑』(柊風舎)を監訳。主な所属学会は日本神経科学学会、北米神経科学会、AAASなど。

稲邑哲也
玉川大学 脳科学研究所 先端知能・ロボット研究センター(AIBot研究センター) 教授。1995年東京大学工学部卒業後、1997年度日本学術振興会特別研究員(DC1)、2000年同大学院工学系研究科情報工学専攻博士課程修了。JST CREST研究員や東京大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学専攻講師を経て、2006年より国立情報学研究所および総合研究大学院大学複合科学研究科情報学専攻准教授。2023年4月より玉川大学脳科学研究所 先端知能・ロボット研究センター 教授。

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主体性を引き出すVR空間の設計とは?

──前編でお話されていた、人間の主体性を引き出して計測するVRシステムとはいかなるものなのでしょうか?

稲邑先生:まだ開発段階ではあるのですが、VRゴーグルを装着するとさまざまな世界を旅行して行き来できるコンテンツをつくっています。そして、その体験をする前後でいかに脳活動が変わっていくのかを計測するんです。

しかし、被験者が単にVR空間を旅行するだけでは意味のある研究にならないと考えています。例えばVRの旅行アプリケーションを使った工学分野の類似研究では、首の運動に障害がある人のためにVRを用います。遊園地の乗り物のように自動的に動いていくムービーに合わせて周囲の景色を見回すことで、あまり動かせなかった首の可動範囲が上がることがあるそうです。

注意すべき点は、このコンテンツはYouTubeの動画やムービーに近いので、自分の意思とは関係なく一方的に流れていくことです。そうした設計では、VR空間内で主体性を引き出すことはできません。重要なのは「行動の自由度」であり、「これを見たい」「あそこに行きたい」という意思を、VR内で反映させることが重要になるわけです。

そこで、私たちはどこでも歩き回れて、自分の好きなことができるVR空間を実験のためにつくりました。さらに、VRの中でスマホで記念撮影できる機能を設定しています。このVRを体験した人は、さまざまな場所で好きなだけ写真を撮れるので、VR内でアクティブに動き回った体験を後に振り返り、自分の本当の体験として記憶に残っているかどうかを写真で判定することで、主体性や幸せを計測していけるのではないか、と考えています。

VR旅行のアプリケーションの環境設定でも試行錯誤を続けています。なぜなら、ただ淡々と歩き回るのではなく、主体性を持って行動していたのかを計測することが重要だからです。また、自分以外の人の影響も計測します。仲間と一緒にグループで旅行するとどうなるのか、他にも通行人や観光客がいて挨拶しながら回るとどうなるかなど。さまざまなシーンをつくりながら、「何がその人にとって喜びなのか」をVR内で条件を変えながら実験しています。

画像:人間の主体性を引き出して計測するVRシステムについておなしする玉川大学脳科学研究所・稲邑哲也教授

人文・社会科学との統合により、マクロな社会の幸せにアプローチする

──松元先生のムーンショットの研究では、VRを用いて幸せを計測し、個人間で比較するという話をされていましたよね。そこで得られた幸せに対する理解はどのように活かされていくのでしょうか?

松元先生:政策の選択の現場に活用することを構想中です。例えば、スマートシティがもっと発達していった未来で、世の中にはどのような政策があるべきか。「この政策を実現したら、こういった世の中になるでしょう」ということをVRで実際に体験してもらい、そのシミュレーションに基づいて人々の幸せの度合いを計測できると思っています。

政策Aと政策B、それぞれを実行した場合の人々の幸せを脳活動からの客観的な指標をもとにシミュレートする。すると、どちらの政策のほうが良いかという未来を比較できるわけです。そうして政策を選ぶことを繰り返していけば、社会全体がより幸せな方向に向かうはずだと思います。

──患者を1対1でいかに治療するかにとどまらず、社会で暮らす人々全体のウェルビーイングをいかに高めるかというマクロな視点から研究を進めている点が面白いと感じました。

松元先生:そうですね。また、プロジェクト概要に人文・社会科学的手法と仮想現実(VR)技術を用いた研究を進めると記載しているのは、社会科学的なアプローチであるテキスト分析によってどういう状況で主体性が現れるのかという観点も含めているからです。それを稲邑先生を中心にVRに落とし込んでもらい、「現在審議している政策が実現した世の中」として実際に体験してもらうわけですね。

もちろん、このプロジェクトはあくまで企画や構想段階なので、いかに政策立案や評価に使うかという点は、今後の研究成果を踏まえてさらに具体化していく予定ですし、その決定過程には、科学とは別の民主主義的な手続きを経ることも大切だと考えています。そういうこともありますが、人間のデジタルツインをつくって個々人の幸せを測れる指標を明確にし、社会政策の評価と意思決定につなげることで人々のウェルビーイングを高めていく……こうしたことに繋がるさまざまな研究が世界中で進められていますので、そう遠くない未来には研究結果の蓄積が政策決定の場へと活かされていくと思います。

──マクロな幸せだけでなく、より具体的な医療へのVRの応用も考えているのでしょうか?

松元先生:ここまで幸せの計測について語ってきましたが、あくまでそれは、ある程度健康に暮らしている人が対象になっているわけですよね。例えば、脳の生理的な異常や脳損傷などが原因で病気になっている人もいます。そうした人たちにVRだけで対応するのは不十分ですし、脳に直接アプローチしていくことも検討しなければなりません。

稲邑先生:こうした脳のデジタルツインによる直接的な治療は、既に国外では動き始めてはいるんですよね。例えば、てんかんの発作が起こっている人に対して、脳のどこを切除すればてんかんの発作が消えるかをデジタルツイン上でシミュレーションする。こういった形であれば、医療応用は有望だと見ています。

──medical XRでは、心臓をデジタル上に複製しようとする研究プログラム「Echoes」や、脳全体のデジタルツインを構築するプロジェクト「Neurotwin」なども過去に取り上げています。1)

稲邑先生:興味深いですよね。特に脳のデジタルツインは、例えば社交不安障害などに悩まされる人の脳の状態を再現し、どのように変えてあげれば社会不安が収まっていくのか、といったシミュレーションにもいずれ応用されていくはず。同様に、強迫神経症やうつ病への応用、発病には至らないものの健康な状態から離れつつある「未病」の人たちの健康管理などにも、人間の脳のデジタルツインは応用していけるようになると期待しています。

画像:政策のムーンショットについてお話する玉川大学脳科学研究所・松元健二教授

1)脳や身体のデジタルツインはいかにして「医療」を変えるのか? その最前線を知る

アシストしすぎないアバターが、人間の幸せを向上させる

──病気ではなく、例えば「コミュニケーションが苦手」という人でも、メタバース空間の中で人とコミュニケーションを繰り返すうちに改善される、といったことも起こりそうです。

稲邑先生:はい。ただ、ここで重要になるのは、「良いさじ加減」で、現実と理想の間の自己をつなぐことです。

眼鏡をつけても視力自体は上がらないように、メタバースの中では幸せでも、現実世界では不幸せとなり、もしも「メタバースであれば生活できるけど、フィジカル空間には居場所がない」と考えるようになれば、その人の幸せ度が下がってしまうことすらあり得ます。

そうした考えに至らない、「ほど良いさじ加減での体験の拡張」が、今後のメタバースの浸透には求められていくと考えており、現在もアバターの表情や声の口調などを調整して良い塩梅のバランスを模索中です。

──VRやアバターで被験者や患者に影響を与えるには、変化のさじ加減が重要である、というわけですね。

画像:「自己効力感を向上させるアシストロボットを作る」 研究

稲邑先生:実はこれは僕がもうひとつ携わっているムーンショット目標3「2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現」にもつながってくるのですが、このプロジェクトで僕は「自己効力感を向上させるアシストロボットを作る」という問いを立てて研究を進めているんです。

例えば、あらゆることを手助けしてくれるロボットも設計できると思うのですが、それでは人間の主体性や能力が下がってしまう危険性がある。何でもアシストするのではなく、「アシストしすぎないアシストロボット」というさじ加減が大切だと考えており、これが実は自己効力感の向上につながることが定量的にも少しずつわかってきているんです。

例えば、うまく手を上げられない人に対して、「ボールを遠くに投げる」という動作を繰り返してもらうリハビリテーションがあります。ここでアシストロボットとVRを組み合わせることで、モチベーションや自己効力感を向上させて、リハビリの効果を高められるかもしれないんです。

具体的には、リハビリを受ける人にVRゴーグルを装着してもらい、ロボットで腕を振る動作を物理的にアシストします。すると、VRの画面で自分の操作するアバターが青い玉と赤い玉の2つを投げる。青いボールは手前に落ちるのですが、赤い玉は遠くまで飛んでいきます。実際にこの人が投げた玉は青色ですが、VR内でボールが飛ぶ軌道を修正することで、赤い玉のように「投げたら遠くに飛んだ」という仮想的な体験をさせられる。すると、脳が「意外とできる」と錯覚して、そのうち本当にボールを遠くまで投げられるようになります。

アバターで姿を変え、表情を変えて、行動も変えて、能力も変えられる。こうした人間の「オーグメンテーション(改変)」では、さじ加減を程よく調整しながら、個人の主体性や幸せを計測してフィードバックしていく。その積み重ねの先には、政策評価などにVRが貢献する未来も近いのだと考えています。

画像:VRの旅行アプリケーションを使った工学分野の研究を体験する

──リハビリテーションにおける一人ひとりの生活から、「主体性」や「福祉」をキーワードにした社会全体のウェルビーイングの向上まで、アバターの幅広い応用可能性をお聞きすることができました。松元先生、稲邑先生、本日はありがとうございました。