第2回 「織田信長と糖尿病」対談前編


田中智洋先生

名古屋市立大学大学院 医学研究科
消化器・代謝内科学分野 准教授
田中智洋先生

大川内幸代先生

刈谷豊田東病院
診療科医長
大川内幸代先生

日本では昔から知られていた糖尿病

大川内先生 本日は糖尿病専門医の田中先生と、「織田信長と糖尿病」をテーマに対談させていただきます。よろしくお願いいたします。

田中先生 よろしくお願いいたします。

大川内先生 まずは織田信長の時代(1534年~)、糖尿病はどのような病気だったのかを簡単にお話しいたします。糖尿病は、日本では昔から知られている病気で、平安時代に書かれた『医心方(いしんほう)』*1という書物に「消渇(しょうかち)」という病名で記載があります。多尿を主症状とする泌尿器の病気に分類されていて、暴飲暴食をすると起こりやすいという記述もあり、生活習慣に起因することは知られていたようです。頻度については不明ですが、当時の生活から考えれば、それほど多く見られる病気ではなかったと考えられます。

田中先生 なるほど。それでは、当時はどのような医療が行われていたのでしょうか。糖尿病の場合は、合併症が一定程度進行しないと病気に気付きにくいので、よほど血糖値が高くて急性の症状がない限りは、治療に至らなかったのでは、と思うのですが。

田中智洋先生

大川内先生 当時の医療は東洋医学が基本ですが、僧侶や修験者による加持祈祷もよく行われていました。それに、ポルトガルから西洋医学も入ってきており、南蛮外科と呼ばれ、傷の縫合や瀉血などが行われていました。東洋医学では、田代三喜、曲直瀬道三、永田徳本といった高名な医師が多く、曲直瀬道三の記録には戦国武将を診察したという記述があります。また、糖尿病の治療に、ツボや漢方薬を用いた記録も残っています。糖尿病の治療から少し外れますが、江戸時代に書かれた『養生訓(ようじょうくん)』*2では、腹八分で食後に軽い運動をするような生活習慣が健康の基と書かれているので、病気を治すうえで生活を改めることが大切だという考えもあったのではないかと思われます。

田中先生 現在でも糖尿病のある人に漢方薬が処方されるケースはありますから、一定の効果が期待できる治療もあったのかもしれませんね。ツボに関しては、根本的な解決策にはならないと思いますが、合併症で痺れが出たときなど、症状の緩和には有効であったことは考えられます。

信長は痩せ型・筋肉質で早食いの甘党

大川内先生 信長が糖尿病であったと明記している文献には、残念ながら私は出会っていませんが、足の痺れなどの症状があったとの記録から、そうだったのではないかと推測することができます。

田中先生 織田信長は筋肉質でスリムな体型だったみたいですね。日本ではここ10~20年ぐらいは肥満を合併した糖尿病のある人が増えていますが、以前はいわゆる日本人に特徴的な2型糖尿病、すなわち痩せ型の患者さんが多くいらっしゃいました。一見すると健康的な生活を送っているのに糖尿病を発症する方もおられます。私は信長に対して、「一代で家業を大企業に押し上げた辣腕経営者」に近いイメージを持っています。天下統一という一大事業を成し遂げるため、リラックスする時間もそこそこに、ストレスフルな環境で自分にも他人にも厳しくバリバリやってきて、気づいたら糖尿病になっていた。そんなイメージです。

大川内先生 痩せ型でストレス過多の状態にあり、インスリンの分泌能がやや低い。日本人の典型的な体質・気質が、信長の体調に影響していたと考えることはできるかもしれませんね。

田中先生 あとは、食習慣も気になります。当時の信長の主食が白米なのか玄米だったのか分かりませんが、子どものころから干し柿や餅をよく食べていたそうですね。炭水化物、特に単純糖質を多く摂る食習慣があったとしたら、血糖値は上がりやすかった可能性があります。

大川内先生 甘いものは好きだったようです。カトリックの宣教師としてポルトガルから来日し、信長と深い親交のあったルイス・フロイスの著書『日本史』には、信長から干し柿を貰ったという逸話が出てきますし、部下に褒美として干し柿を与えたという記録もあります。褒美には自分の好きなものを与えることが多いですから、やはり甘党だったのだと思います。また、太田牛一の『信長公記(しんちょうこうき)』*3には、当時とても貴重だった砂糖が鷹と一緒に長曾我部家から献上されたという記載も見られます。庶民に比べると、甘いものを口にする機会は多かったのでしょう。

田中先生 しかも、「寄こせ」とひとこと命じれば、何でもすぐに手に入る立場ですから、好きなものを好きなだけ食べられる環境だったのではないでしょうか。

田中智洋先生

大川内先生 合戦前には食事をかき込んでいたという話もあるので、早食いでもあったと思います。これらの逸話から想像すると、あまり好ましい食生活ではないように思えますが、実はルイス・フロイスは、信長は健康的だとも書いているのです。粗食でお酒を飲まないし、運動もすると褒めています。

田中先生 そういう意味では、信長という人は、自己管理はしっかりとできていたのかもしれませんね。

大川内先生 だとすると、先ほど田中先生がおっしゃったストレスが、糖尿病の発症要因として大きいのかもしれませんね。

合戦のストレスや短時間睡眠がリスクに

田中先生 合戦時は、文字通り生きるか死ぬかの極限状態ですから、「戦いのホルモン」といわれるアドレナリンやノルアドレナリンの分泌も非常に多くなったでしょう。アドレナリンもノルアドレナリンも、膵β細胞に働いてインスリン分泌を抑制したり、筋肉に働いて糖の取り込みを抑制したりするので、これらのホルモンが多く分泌される状況では血糖値も上がりやすくなります。例えば、アドレナリン分泌が過多になる褐色細胞腫の患者さんでは、相当な割合で糖尿病を発症するのですが、褐色細胞腫を手術で取り除くと糖尿病が良くなる、ということはよく知られています。信長のアドレナリン分泌量がどのくらいだったのかは知る由もありませんが、戦に明け暮れる中でインスリン分泌が抑制され血糖値が上がっていったであろうことは想像できます。

大川内先生 信長包囲網は何回もありましたからね。

田中先生 ストレスで血糖が上がると考えられる一方、戦地に派遣されて帰還したアメリカ空軍兵では、戦地派遣前よりも帰国後の方が血糖のマネジメントが改善するという報告もあります*4。しかし、戦地からの帰還後には派遣前よりも体重が減ることが報告されていますが、この体重減少には筋肉量の減少も寄与すると言われています*5。時代も戦争のあり様も大きく変わっていますし、食事内容にもよるとは思いますが、やはり戦場にいることが、血糖値や骨格筋の代謝に少なくない影響を与えることは間違いないと思います。

大川内先生 睡眠時間が短いのも糖尿病のリスクになりますよね。

田中先生 その通りです。早起きだけなら特に問題はないのですが、就寝時間が遅めでかつ起床時間が早いと、糖尿病を悪化させる傾向があることが知られています。

37歳で糖尿病を発症!?

大川内先生 糖尿病の要因として、生活習慣やストレス以外に、持って生まれた体質もあると思います。家族歴が分からないので難しいかもしれませんが、信長はどうだったとお考えですか?

田中先生 二親等、三親等以内に2型の糖尿病のある人がおられれば、若くて筋肉質な方でも骨格筋での糖の取り込み能力が落ちているといわれています。信長もそうした体質を持っていたかもしれません。ただ、大川内先生もおっしゃるように家族歴が分からないので、あくまでも一般論です。

大川内先生 ところで、信長は43歳のときに居城を安土城に移しているのですが、このころには手足の痺れや痛みが強かったという記録があります。ここから逆算すると、発症は何歳くらいだったと推測されますか?

田中先生 そうですね。もしかすると、曲直瀬道三先生が優れた治療を施されていたかもしれませんが(笑)、まったく治療が行われていなかったとしたら、完全に想像ですが5~6年前、37歳ぐらいのときでしょうか。

大川内先生 37歳というと、姉川の戦いや比叡山延暦寺の焼き討ちを行った時期ですね。非常にストレスフルで、アドレナリンも大量に出ていたと思われるころです。

田中先生 一般的に、膵β細胞のインスリン分泌能は、年齢とともに低下しますから、合戦によるストレスも溜まっていたとすると、37歳ごろに糖尿病を発症して、5~6年後に神経障害が出る、というのは可能性として十分にある話です。糖尿病の合併症としては、狭心症や心筋梗塞、脳梗塞、下肢の閉塞性動脈硬化症といった大血管障害も重要ですが、これは今の日本人の生活がだいぶ欧米化しているからで、当時の日本人は、細小血管症の神経障害や腎症、網膜症などのほうが多かったと考えられます。

大川内先生 平安時代の貴族の藤原道長も糖尿病で、晩年は視力の低下が見られたとの記録があります。信長が本能寺の変で命を落とすことがなければ、60歳ごろには、道長と同じような症状が出ていたかもしれませんね。

<後編に続く>

※本コンテンツの歴史に関する記載には、諸説ある中のひとつを取り上げた部分が含まれています。予めご了承ください。

*1:現存する日本最古の医書
*2:正徳3 (1713) 年成立。益軒十訓の一つ。健康保持の観点から日常生活の心得を説いたもの
*3:織田信長の右筆、太田牛一著。信長の入洛から本能寺の変で最期をとげるまでの事歴を、年月を追って記述したもの
*4:Folaron I, et al. Mil Med. 2018 Nov 1;183(11-12):e603-e609.
*5:Fallowfield JL, et al. Br J Nutr. 2014 Sep 14; 112(5): 821–9.

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