HX Trend:医療はマルチ・システム。「デザイン思考」も複雑さへの理解が必要


イリノイ大学シカゴ校住民健康科学学部アソシエート・ディレクター
キム・アーウィンさんに聞く

イリノイ大学シカゴ校の住民健康科学学部では、患者さんだけでなく医療提供者、介護者など幅広い関係者を含むデザイン思考プロジェクトを手がけてきました。医療におけるこのアプローチの可能性を探ります。

取材日/2018年7月24日
取材・文/Noriko Takiguchi
撮影/Janet Mami Takayama

医療における「デザイン思考」への注目

Q医療サービスが抱える問題を「デザイン思考」で解決しようとする組織が増えていると聞きますが、現状をどう見ていますか。

A

医療における「デザイン思考」は、10数年前から始まっています。ことに、患者さんが中心的な医療体験をどう捉えるかについての議論が高まっていて、実験を行なっている医療機関もたくさんあります。実は、一般的な「デザイン思考」の方法論も、『ハーバード・ビジネスレビュー』誌に取り上げられるまでに30年もかかりました。しかし、医療はそんなにのんびりしている暇はありません。もっと速く前進する必要があります。ベストの方法論をどう形式化して共有し、受容を広めていくかが課題です。

Q最近、関係者が集まって、ここで会合を開かれたそうですね。

A

この分野で活動するリーダーが集まりました。会合を開いたのは、このアプローチが今や非常に重要な時期に差しかかっているという意識があったからです。集まったのは、メイヨー・クリニック、メモリアル・スローン・ケタリングがんセンター、ピッツバーグ大学医療センター(UPMC)、クリーブランド・クリニック、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校(UCSF)など7組織を代表する24人です。各機関のデザイナーと、医療情報責任者や医師らの臨床関係者らが中心で、その他にも医療関連財団の関係者などがオブザーバーとして参加しました。知識を共有し、それぞれに異なった組織モデルを分析することが目的でした。

Q各医療機関でデザイン思考組織がどんな位置付けにあるのかが、それぞれに異なっているわけですね。

A

臨床イノベーション部門に位置しているところもあれば、品質向上の部門にあることもあります。メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターは、センター全体の戦略部門内の組織として抱えています。ここイリノイ大学シカゴ校(UIC)では研究組織の一つですが、副総長の直轄下にあります。そうした違いによる利点や欠点は何か、活動資金はどこから提供されるのかなどを分析しました。機関によっては、モデルを変えながら色々試しているところもあります。アメリカでは、受けた医療サービスについて患者さんが採点する動きが広まっており、医療機関のトップも患者さんの受けた医療サービスの満足度の向上のために「デザイン思考」を取り入れたいと考えている。彼らが、どんなモデルがいいのかを決定する参考にもなるでしょう。

ハイリスク妊娠のコストを共有するツールは何か

QここUICでどんな「デザイン思考」のプロジェクトを手がけられたのか、具体的な例をご説明くださいますか。

A

ハイリスク妊娠の医療コストに関するプロジェクトをご紹介しましょう。これはロバート・ウッド・ジョンソン財団の補助金によって進めたプロジェクトで、医療のコストについての話題を診察の中でどう位置付けるのかを検討したものです。それを考えるための一例として、ハイリスク妊娠を取り上げました。この場合のハイリスク妊娠とは、妊婦の身体的な状況がハイリスクであると同時に、シカゴのサウス・サイドというアフリカ系住民が多い低所得地域を対象にして、社会経済的にもリスクが多いという意味です。

Qアメリカは医療費が非常に高いことで知られますが、さらに健康上、経済上のリスクが加わっているわけですね。

A

そうです。実は医療コストがどのくらいかかるのかについて話し合うのには標準的な方法がありません。しかし、コストの話をしなければ、今後の治療プランをしっかりと決められません。これはまた、医療サービスに対する満足度にも影響を与えるものです。よく診察の際に医師は言わなかったのに、後でしょっちゅう診察に来なければならないことを知って、患者さんがあたふたすることがあります。また診察室まで戻って医師に確認したりする。彼女たちは、保険についてもあまり知らないことも多い。ハイリスク妊婦は、だいたい9ヶ月間に27〜32回も診察を受ける必要があるのです。

ハイリスク妊娠に関するプロジェクトでは、妊婦や関係者にインタビューを行い、最終的には費用や診察スケジュールについてわかりやすく説明されたパンフレットを製作した

Q27〜32回ともなると、日常生活にも支障をきたしますね。

A

ほぼ3週間フルタイムで働くような時間がかかるのです。しかも、通院や診察のために仕事を休んだり、交通費を負担したり、体調を安定させるために食事を4時間ごとにとるなどが必要です。そうしたコストを合計すると、何と2500ドルにもなる。これは、誰にとっても大きな出費です。ところが、医療機関側は社会的に弱い立場にある彼女らにコストの話題を持ち出すことに躊躇があるのです。通院しなくなるのではないか、中絶してしまうのではないかと恐れるからです。一方、患者さん側に話を聞いてみると違う。彼女らは、大きなお金が必要だとわかっていれば、毎週の出費を加減するだろうと言う。しかし、教えてもらわなければ、通院を止める選択しか残されないではないかと考えているのです。

Qそのギャップを埋めるための解決策が必要なわけですね。「デザイン思考」の手法を用いたプロジェクトは、どのように進められたのでしょうか。

A

プロジェクトは、UICとシカゴのサイナイ・アーバン・ヘルス・インスティテュートとの共同で行いました。チームはデザイナー2人、疫学者1人、質的調査のリサーチャー1人、事務サポートが1人、産婦人科医とそのチーム2人でその1人はデザイナーでした。インタビューをした患者さんは20人、そして臨床医8人、看護師8人を含む医療関係者が24人です。患者さんと医師だけではなく、システムのどこでコストに関する会話が起こっているのかを調べ尽くし、それがどう解決策を左右するのかも検討しました。

Qハイリスク妊娠に関わる関係者全員に接触したということですね。

A

そうです。「デザイン思考」の標準的なプロセスとも言えますが、関係者全員をマップ上に描き出し、各所に介入するとして、デザイン条件が合致しているところとそうでないところを特定しました。後者は要注意ポイントです。例えば、医師は患者さんの診察に2分しかかけられないのに、さらにコストのことを話し合うのは無理だと言います。治療計画とコストは密接につながっていますから、ここには何らかのデザインの仕組みによってコストの会話が成り立つような介入が求められます。

ビジュアルであることの意味

Q各所をていねいに見ていったわけですね。

A

ツールを作って効率的にコストの会話ができるようなところはどこかを特定するわけですが、そのためには治療計画、医療サービスでの満足度、患者さんの心情などの全てを考慮することが必要です。例えば、医師は低所得のあなたにだけこの話をしているのではなく、どの患者さんともコストの話をするのだということを、ツールが反映していなければなりません。結果的に作ったパンフレットには、患者さんが記入するところ、医師が記入するところがあり、さらに今後の27回の診察はこのように進められるという内容が盛り込まれている。ブドウ糖の検査には2時間かかるので、そのつもりで来てください、といったこともわかるのです。そして、そこにコストの説明もある。このパンフレットを使えば、1回で話し合いが完了するのです。裏面には、病院に行く際には誰に子供の世話を頼んでいくか、交通手段はどうなるのか、どこで食事ができるかなど、考えておかなければならないこともリストアップされています。

Qパンフレットは、関係者全員が求めることを調べ尽くした上で作られているわけですね。ただ、しゃれたレイアウトで作っただけのパンフレットではない。

A

そうです。パンフレットはプロトタイプを13回も作り直しました。その都度、関係者に意見を聞きに行ったり、シカゴ大学の産婦人科にふせん紙と一緒に渡してフィードバックを書き込んでもらったりしました。フォーカス・グループによるテストも行って、患者さんの意見も聞きました。そこでわかったのは、低所得者向けの公的保険を受けている患者さんもいれば、一般の保険会社による保険に加入している患者さんもいましたが、みんな同じことを求めているということです。それは、リスペクトを持って接して欲しいということです。こういうパンフレットがあれば、患者さんもちゃんとした情報を共有してパートナーのように参加していると感じることができる。お金の有無にかかわらず、妊娠という重要な時期にこうしたツールがあることの意味は、単にコストの会話が進められるだけではないのです。

Qこのパンフレットもそうですが、プロジェクトの過程で作られる資料も非常にビジュアルですね。

A

ビジュアルにするのは、異なった組織のさまざまな関係者の間で1本通った筋を作るためです。言葉で延々と説明することもできますが、ビジュアルなものは見せるだけでわかる。それによって、皆が同じラインに沿って考えることが可能になるのです。

Q「デザイン思考」のプロジェクトで生まれたこうした成果は、他の医療機関にとっても有効なものと思いますが、成果を共有する仕組みはあるのでしょうか。

A

現在のところは、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』誌のようなところへ論文を発表することが共有につながります。同誌に掲載されると、人々は注目しますから。臨床の現場にいる人々は、論文を読んで自分たちですでにやっていることにも違ったやり方があると気づくでしょう。ただ、実装するとなればまた別の問題です。ITサポートが必要になったりと、さまざまなシステムが関わってくる課題になります。

Q「デザイン思考」の手法は広く利用されていますが、医療サービスにおける「デザイン思考」の特徴は何でしょうか。

A

非常に複雑なことです。「ただのデザインじゃないか」と言う人もいるでしょう。しかし、医療はマルチ・システム(複合的なシステム)です。システムの中にシステムがあり、さらにそれが別のシステムに関連しているといったマルチ・システムです。例えば、救急部門はそれだけで一つのシステムですが、それが救急隊員のシステムや薬局のシステム、診断システムにもつながっている。そうしたシステムを認識することは、デザイナーにとって重要なポイントです。デザイナーはものごとをホーリスティック(全体的)に把握し、境界を広げることに長けています。しかし、マルチ・システムはもっと大きな課題なのです。

Q患者さんのあらゆる体験も重要ですね。

A

そうです。患者さんはそうしたシステム全てを貫く存在でもあります。ただ、患者さんを主体として考えるのは、視点としては狭すぎます。医療に関わる全ての人々を視野に入れなければならない。そこには、医師や看護師、事務関係者、家族ら全てが含まれ、誰かが中心に陣取っているということではないからです。

地域を舞台とした医療の「デザイン思考」へ

QUICのデザイン思考グループは、大学病院にも密接につながっています。外部のデザイン会社が「デザイン思考」のプロジェクトに関わるようなケースも見られますが、内部にこうした組織があることの利点は何でしょうか。

A

医療システムの内側から、その日常を観察できることでしょう。外部の人材が数ヶ月貼り付いてプロジェクトを手がけることもできるでしょうが、内部の人間ほどの関係性を築けません。また、計画を立てることはできても、実装段階に入ると腕をまくって関係者と密接に連携しながら大変な作業を進めていかなければなりません。それは外部の人々にはなかなかできないことです。

Q今後、医療における「デザイン思考」はどんな方向へ向かうと思いますか。

A

おそらく、医療機関の外側へ、つまり地域やコミュニティーへと広がっていくでしょう。医療機関は治療やアドバイスを受ける場所です。しかし、医療の多くは日常生活がある家やコミュニティー、学校などにあるのです。そこは規制も少なく、もっと現代的なアプローチに対しても受容度が高いはずです。そして、そこで中心の役割を果たすのは企業でしょう。企業と医療が持つ尺度は異なっていますが、それを結ぶのがデザインではないでしょうか。ことにコミュニティーの中でデザインは両者をつなぐ橋となるはずです。

ISAACプロジェクトは、鎌状赤血球貧血病の患者さんだけでなく、看護師、家族、ソーシャルワーカーなどケアに関わる人々全ての心情も含めた上で、ケアの質を向上させることを目的として行われた

イリノイ大学シカゴ校住民健康科学学部のデザイン思考組織が入っている建物

キム・アーウィン ( Kim Erwin )

シカゴのロヨラ大学卒業後、イリノイ工科大学でデザイン・コミュニケーションの修士号を取得。イリノイ工科大学のデザイン研究所および共同医療デザインセンターで准教授を務めたのち、イリノイ大学シカゴ校住民健康科学学部アソシエート・ディレクターに就任。シカゴ地元住民への医療サービスにおけるコミュニケーション向上を中心としたプロジェクトに取り組んでいる。

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