HX Trend:ヒューマン・センターな医療を実現するために


カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校医学部 テクノロジーサービス(UCSF SOM Tech)
デザイン戦略主任デーナ・ラグジアスさんに聞く

※ヒューマン・センターな医療:人間を中心に考えた医療。ここでは、患者さんはもとより、ヘルスケアに関わる人の経験を中心に考えた医療を指します。

デーナ・ラグジアス

取材日:2018年7月17日
取材・文/Noriko Takiguchi
撮影/Hiroyo Kaneko

世界有数の大学病院として知られるカリフォルニア州立大学サンフランシスコ校医学部 テクノロジーサービス(UCSF SOM Tech)では、学内に「デザイン思考」を推進するグループを設けて、医師やその他の医療関係者らと協力して課題解決に望んでいます。

プロトタイプ化とユーザーのフィードバック

「医療における「デザイン思考」は、普段は非常に専門的な仕事についている医師らが、現場にある課題を別の視点から捉える機会を与えるものと言えます。また、こうしたいというアイデアがあっても、それを形にする機会やスキルがなかったのを、「デザイン思考」の方法論を借りることでテストすることできます。適切なスコープを定義してアイデアをテストし、その結果を分析できることが、そこにデザイナーが関わることの価値です」。

取材に応じてくれたデーナ・ラグジアスさん
UCSF SOM Techは、医学部学長の直轄の組織として位置づけられている

こう語るのは、世界有数の大学病院であるカリフォルニア州立大学サンフランシスコ校医学部 テクノロジーサービス(UCSF SOM Tech)でデザイン戦略主任を務めるデーナ・ラグジアスさん。ラグジアスさんは、医療サービスにおける「デザイン思考」の専門家として、これまで数々のプロジェクトを手がけてきました。
アメリカでは最近、医療や関連サービスにおける課題に「デザイン思考」を取り入れる傾向が高まっています。2000年代初頭から先端的医療で知られるメイヨー・クリニックや医療サービス大手のカイザー・パーマネンテなどの医療機関がそうした試みを始め、この二つは今でも先駆者として知られています。
ラグジアスさんは、その二つの機関で「デザイン思考」プロジェクトに取り組み、2年前にUCSFに移籍しました。UCSFでの具体的なプロジェクトを説明する前に、まず「デザイン思考」とは何かを簡単に説明しましょう。

「デザイン思考」は現在、企業でも新しいサービスや製品を生み出すために用いられている手法です。デザイナーが工業製品やデジタル・サービスの経験を中心に考える際に用いていたやり方が、他のケースにも役立つことが認められ、製品開発、ビジネス開発、問題解決など様々な場面で利用されています。
かいつまんで言えば「デザイン思考」とは、ユーザーへの共感やユーザーからのインプットに基づいたサービスや製品を生み出すための方法論です。同時に、まだ社会に存在しない必要性を発見するための手法とされ、イノベーションを起こすためのクリエイティブな考え方の指針ともされます。
「デザイン思考」は、ある一定の共通した手順を踏んで進められます。まず、行われるのはユーザーの観察やインタビューです。これを通して何が問題になっているのか、どこが改良できるかを考察します。それをもとにして具体的なサービスや製品のアイデアを案出するのが、次の段階です。
その後は「デザイン思考」の中でも重要な部分で、プロトタイプ化とフィードバックを得るという段階になります。プロトタイプとは、サービスや製品の特徴を表現した雛形ですが、部分的であったり荒削りであったりしても、プロトタイプが実際に手に取って使えるものになることで、具体的な使い勝手が把握でき、ユーザーからもフィードバックを得やすくなります。
プロトタイプはフィードバックを得た後に再度改良し、それをまたユーザーに使ってもらって、さらにまた改良するというサイクルを何度も繰り返す必要があります。そうしたプロセスを通してこそ、最終的なサービスや製品のかたちへ少しずつ近づいていけるのです。
医療の現場には大小さまざまな課題があり、「デザイン思考」は、そうした課題に取り組む方法として現在注目を集めているわけです。

関節リウマチ患者さんのための自己報告ツールを考える

さて、UCSFで進められた具体的なプロジェクトにはどんなものがあるのでしょうか。その例をいくつかご紹介しましょう。
ひとつは、関節リウマチ患者さんの診察に関するものです。このプロジェクトは、UCSFの二人の医師がSOM Techのデザイン・チームにコンタクトを取ってきたことから始まりました。
実はこの医師らが以前行った調査で、興味深い事実がわかっていました。それは、関節リウマチ患者さんが自分自身で毎日の痛みや身体の動きの難易度などを報告すると、長期的に症状が改善されていくというものです*。関節リウマチは適切に処置されなければ深刻な事態を引き起こす病気なので、症状を少しずつでも改善していくことは重要です。〔* 出典:Dana Ragouz, Julie Gandrup, Beth Berrean, Jing Li, Marie Murphy, LauraTrupin, Jinoos Yazdany, Gabriela Schmaju. “Am I OK?” using human centered design to empower rheumatoid arthritis patients through patient reported outcomes, Patient Education and Counseling Volume 102, Issue 3, March 2019, Pages 503-510〕

調査結果がわかっていたものの、医師らはそれを診察の中心に据え、また持続的に使えるようにするにはどうすればいいのかについて、デザイン・チームの助けを必要としていました。患者さんが日常的に使えて、診察の際に医師も見られるようなツールができないかと考えていたのです。データが記録されるツールがあれば、診察の際に「階段昇降の難易度は、昨年はレベル8だったのに、今はレベル10に後退していますね。頑張ってレベル2まで上げましょう」といったように話し合えるのではないかと思ったのです。

時間軸に沿った記録の例は、多種類検討された
患者さんは、関節リウマチ、家族、薬局、保険、他の疾患などを含めた大きなエコシステムの中に位置することを確認

プロジェクトがスタートして最初に行ったのは、インタビューやオブザベーション(観察)を通した質的リサーチです。実際の診療現場で医師や患者さん、看護師らがどんなことを必要としているのか、彼らのワークフロー(仕事の流れ)がどのようになっているのか、それぞれが何を期待しているのか、診療のエクスペリエンスはどんなものか、通院後は何が必要になるかなどを調査しました。
その後に医師、患者さんを交えてワークショップを行い、どんなツールがあれば有効か、どんなデータが使えるといいかといったことを話し合い、その後プロトタイプを作りました。

この場合のプロトタイプは、デジタルではこんなことができるという機能の流れを紙に描き出して表現したものです。デジタルではプロトタイプを作り込むのに時間がかかりますが、紙でその機能を表現すれば、作り直しもすぐにできて試すのも簡単ですし、コストもかかりません。
このプロトタイプを患者さんや医師らが使ってみるのが、次の段階です。分かりにくかったことは何か、使い勝手はどうかなどについて話を聞いてフィードバックを得ます。

関節の症状を記録するための情報をどの程度単純化できるかを検討した
身体の状態を時間軸に沿って記録するためのインターフェイスのスケッチ。緑の線がゴールとする値

現在は、さらに具体的にこのツールのデータ操作画面の双方向性を試している段階です。当初は多くのデータを盛り込んでいましたが、患者さんにとってはデータが多すぎて却ってわかりにくくなっていることが明らかになり、重要なポイントだけを前面に出してもっとスッキリさせた方がいいといった点を改良しています。これを再びテストし、今後数カ月で新しいデザインを行う予定です。ゴールは、デジタル・ツールとして試作し、そこに個々人の電子医療データも引き出せる機能を付け、それを実際の臨床現場でテストすることです。臨床現場では、電子医療データも統合した方がいいかなどを比較テストし、より具体的に機能性を詰めていきます。このプロジェクトは、研究補助金の支給サイクルによって2017年夏に第1フェースが開始され、2018年春から第2フェーズが始まっています。

プロジェクトには多様な関係者が関わっています。二人の医師に加えて、調査を審理する機関調査委員会(IRB)から臨床調査コーディネーターが一人、UCSFの社会学者のリサーチャー、そしてデザイナーとテクノロジー開発者が数人ずつです。海外のリサーチフェローも加わりました。
また参加した患者さんは、第1フェーズで合計48名、第2フェーズで18名がさらに加わっていますが、全員が全てのステップに参加しているわけではありません。ほとんどの患者さんは病院を訪問した際に参加への意向を尋ね、IRB が正式な合意を得るという経緯を経ました。

Helix:遺伝型がんの患者さんをサポートするために

もうひとつ、Helixプロジェクトをご紹介しましょう。Helixプロジェクトは、ヘレン・ディラー・ファミリー包括がんセンターというUCSF内の組織からの依頼によって進められたものです。同センターは、がん遺伝子を持つ人々に対して、適切な情報を提供し、生涯を通した検査、ケアに対する決断をサポートする組織で、アメリカでも珍しい存在です。現在はその役割がますます重要になっていると言えるでしょう。
実は、同センターから当初依頼されたのは、患者さんとのやりとりを行うために顧客管理(CRM)システムを整理することでした。患者さんごとに複数のデータベースにアクセスしなければならないような古いプラットフォームを利用していたために、マニュアル作業も多く、非効率だったのです。
これに対してデザイン・チームが提案したのは、将来の遺伝子医学の発展やセンターの成長にも合わせられるような長期的な視野に立ったCRMプラットフォームを作ることでした。依頼は純粋にテクノロジーだけに関するものだったのを、他のツールも統合して、より質的に意味のあるプラットフォームにする目標を立てたのです。こうした視点は、デザイナーだからこそ、また「デザイン思考」のプロジェクトを手がけるチームだからこそ出てきたものと言えるでしょう。

Helixプロジェクトのロードマップ案。スタッフの仕事を効率化し、それによってサービスを拡充することを目指している

プロジェクトは、インタビューやオブザベーション(観察)から始まりました。相手は、遺伝子カウンセラー、アシスタント、患者さん、スタッフなど。それぞれが必要としていること、どのようなサービスを望むかといったことを聞いて、ここからCRMをどのように拡張できるのかを考えます。
ここで重要だったのは、ワークフローを整理することでした。ここでの活動にはいろいろな組織と複数のデータベースが関わっています。さらにすでに使ってきたCRM もあります。ワークフローを絵にして、必要な作業を全て描き出し、もっとここに価値を与えるものは何かを検討しました。
そこで出てきた案は、その後行われたワークショップで有効性を確認します。ワークショップには、6人の患者さんが参加しましたが、彼らはUCSFで検査を受けてケアも続けている人、検査は他の医療機関で行ったがその後ここへ来た人など、異なる状況にある人々を選んでいます。彼らから、賛否両方の意見を聞き、患者さん、医療機関の両方にとって重要なニーズは何か、そのためのワークフローはどうあるべきかを探っていったのです。
このプロジェクトから生まれたのは、個々の患者さんの状況に合わせて生涯にわたってケアプランが見通せるプラットフォームです。同時に現場のスタッフが管理しやすくなり、また患者さんにとっても適切なタイミングで必要な行動を知ることができるようなものです。これまでバラバラだったデータベースも一本化され、一箇所でアップデートすれば患者さんの記録が全て同期されるようにもしています。

医療に関わる全ての人への共感を

ラグジアスさんは、医療機関での「デザイン思考」プロジェクトが増えている中、UCSFの特徴は2点あると言います。ひとつは、医療機関内部にこのような「デザイン思考」プロジェクトを推進できるグループがあることです。外部の組織がプロジェクトに関わるケースもありますが、それと比較して、内部のグループならば組織の文化もその限界もよく理解しています。またプロジェクトが完了した後も、必要ならばフォローすることも可能です。
もうひとつの特徴は、グループ内にテクノロジーの開発チームが含まれていることです。同じ医療機関内であっても開発チームが別部門になっていると、プロトタイプの開発に時間がかかり、テストとフィードバックのスピードが削がれてしまいます。同じグループ内ならば、意思疎通もスムーズに行われ、重要なプロトタイプづくりの段階での無駄が省かれます。

UCSF医学部のキャンパスの一つ、ミッション・ホール
オフィスで仕事中のデーナ・ラグジアスさん

ラグジアスさんが所属するSOM Techには、デザイン&ディスカバリー・チームと開発チームがあります。デザイン&ディスカバリーにはデザイナーが4人、ビジネス分析担当が2人、ソリューション・アーキテクトが1人おり、そして開発チームには、品質保証担当者を含めて9人がいます。加えて、全体を見るプロジェクト・マネージャーが2人いるという構成です。

「患者さん中心的な医療」という表現がよく聞かれますが、ラグジアスさんは「デザイン思考」の対象は決して患者さんだけではないと言います。
「患者さんだけでなく、医師や看護師、スタッフら関わる全員を含み、ヒューマン・センターな医療になるよう捉える必要があると思います。たとえ現場でスムーズにことが進まないことがあったとしても、そこに関わるみんながベストを尽くしている。その全員に対して共感を持ってデザインをしなければなりません」。
医療における「デザイン思考」は、多くの対象と多くの可能性を抱えたアプローチなのです。

デーナ・ラグジアス ( Dana Ragouzeos )

スミス・カレッジを卒業後、カリフォルニア・カレッジ・オブ・アーツ(CCA)で修士号を取得。医療におけるデザイン思考を採用したことでは先駆的組織として知られるメイヨー・クリニックやカイザー・パーマネンテで経験を積み、2016年からカリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部のテクノロジーサービス(UCSF SOM Tech)でデザイン戦略主任を務める。母校のCCAで教壇にも立っている。

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